昨年からはじめていたtwitterを もとに 2011年2月 blogに展開しました


 


2018-04-24

・・和歌死・・ 君が涙のときには僕はポプラの枝になる


君が涙のときには 僕はポプラの枝になる・・・
(空と君のあいだに 中島みゆき)

1.5歳で我が家に当時は13.8キロ













喪失感は大きく 心に あながあいた状態から ぬけだせない 絶望的な状況

キャリアの終わりの部分とその後の生活が いかに和歌に依存していたかを いまさらながら 感じています 

リタイア後を考えて ・・・ゼファーツーリング仕様オリジナルを仕上げてバイクで北海道デビュー 「駒さん」※のコーヒーチェーン店にもぐりこむ等・・ 色々と考えをめぐらしていたのですが それらの中で 唯一の「成功!」が 和歌だった
※「駒さん」とは 当時の勤務先の社長 社長と工場長の関係だった

「駒さん」が亡くなった時も 今回と同じでした
彼が死んで はじめて 会社組織のなかでいかにサポートされていたかが 白日の下にさらされた 彼が消えた状態では 何ひとつ動かせない無力な現実に 愕然とした

これはだめだと・・ さっさと撤退 逃げ出したのですが ・・・
今回は 誰も助けてはくれない

君が涙のときには 僕はポプラの枝になる・・・
(空と君のあいだに 中島みゆき)


 





































 








冬にはボンネットの上




















日常のなかで 和歌は いつも視界のなかにいた 消えた後も ルーチンの散歩は 止められない そのあらゆるシーンで 和歌の影を感じ 名前を呼びかけ 涙する


ゆわゆる 陸上県大会クラスの スプリンタータイプ 
高速代が安かったとき 大型犬が集まっていた 六甲アイランドのドッグラン




















和歌の経歴 大阪市柏原市の里親から譲渡されました
2008年6月 救済団体から我家へ 1.11/ 2歳
当時 譲渡会の常連(売れ残り?)だったそうです
2018年7月17日 死亡      11.12/12歳